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マレーシアっていったいどこにあって何語を話すの?をざっくり説明

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マレーシアっていったいどこにあって何語を話すの?

 

マレーシアへはどうやって行く?どのくらいかかるの?

 

マレーシアへは羽田・成田空港から飛行機で約7時間、関西国際空港からだと約6時間。

そして、KLIA国際空港からクアラルンプール市内へはタクシーで約50分ほどかかる。

 

マレーシア航空、エアアジアANAJALなどの航空機が飛んでいる。

羽田・成田空港へは、JALANAともに直行便があるが、関西国際空港へは現状直行便はない。

 

もし関西国際空港への直行便だと、エアアジア

エアアジアは、若干席の狭さはあるものの、今まで何回も日本とマレーシアとを往復しているが特に問題なし。

 

ただ、その日の席の埋まり具合などエアアジア側の都合でフライトが変更になった場合は、一定期間の猶予を与えられ、フライトの変更や、返金に応じるといった柔軟な姿勢をみせており個人的には結構好印象。 

 

マレーシアの州構成と日本国大使館

 

マレーシアはマレー半島ボルネオ島の一部の東マレーシアから構成されていて、マレー半島側には11の州、そして東マレーシア側には2の州、合計13の州がある。

 

日本でいう、大阪府には大阪市、北海道には札幌市といったように、それぞれの州で州都があるのだ。

 

 

マレー半島 

  1. ペルリス州     (州都カンガー)
  2. クダ州       (州都アロースター)
  3. ペナン州      (州都ジョージタウン)
  4. クランタン州    (州都コタバル)
  5. ペラ州       (州都イポー)
  6. トレンガヌ州    (州都クアラ・トレンガヌ)
  7. パハン州                   (州都クアンタン)
  8. セランゴール州        (州都シャーアラム)
  9. ネグリ・スンビラン州 (州都セランバン) 
  10. マラッカ州    (州都マラッカ)
  11. ジョホール州   (州都ジョホールバル)

 

東マレーシア

  1. サバ州      (州都コタキナバル)
  2. サラワク州    (州都クチン)

 

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島と島がわかれていても同じマレーシア。

マレーシアの日本国大使館もそれぞれの管轄によって3つに点在している。

 

1.在マレーシア日本国大使館

所在地:クアラルンプール市内

管轄地域: クアラルンプール、スランゴール州、ヌグリ・スンビラン州、マラッカ州、パハン州ジョホール

在マレーシア日本国大使館

 

2.在ペナン日本国総領事館

所在地:ペナン島

管轄地域:ペナン州、クダ州、プルリス州、ペラ州、クランタン州、トレンガヌ州

在ペナン日本国総領事館

 

3.在コタキナバル良治事務所

所在地:コタキナバル(ボルネオ島

管轄地域:サバ州サラワク州、ラブアン連邦直轄地域

コタキナバル出張駐在官事務所

 

 

マレーシアの総人口と人種のだいたいの割合

 

マレーシアの総人口は約3,200万人。 

大体人口の内訳は60%がマレー系 で、中国系が約23% インド系が約7%、その他先住民族たち。

 

ざっくり分けてしまうとこんな感じだが、実は細かく分けるとどのくらいの民族がいるのかわからない。 

 

何せペナン島だけでも30の民族がひしめき合って暮らしているというので、マレーシア人でも、すべての民族について細かい知識を持っているわけではない。

 

例えば、マレーシアに住み始めて日が浅いうちは、「マレーシア人たちは何で~するの?」という素朴な疑問をマレーシア人の友人に聞いてもはっきりとした答えがでない場合がほとんど。

 

その理由は彼らの教育の背景だったり、育った環境だったり異なるので、一概に言えないのだと思われる。

 

 

そんな多民族国家マレーシアでは何語で会話するの?

 

マレーシアの主な言語は、マレー語、英語、中国語、タミル語、広東語など様々だが、憲法で決められているマレーシアの国語は マレー語

 

マレーシアが独立後、マレーシア政府はマレー語を中心とした教育改革を推し進め、今や彼らの第一言語はマレー語。

 

だが、そんなマレーシアもイギリスに占領されていたころは、英語教育が行われていた。

 

かつて2度首相を務めたトゥン・マハティール・モハマドは、当時のことについて1995年の日本経済新聞に連載されていた「私の履歴書」でこう述べている。

 

英国人のほとんどは役所で働いていた。確かではないが、その数は家族を入れても全部で百人くらいで、マレーの人々にとり支配されているとの実感は薄かった。むしろあこがれや尊敬のほうが大きかった。

 

だから、私ばかりでなくマレーの若者にとり将来の夢は、英語を学び、王国政府、つまり植民地政府の役人になることで、それについて何の疑問もなかった。

   ※日本経済新聞私の履歴書 マハティール・モハマド」1995年から

 

 

英語を話せることはいわゆる彼らにとっての憧れであり、未来への切符だった時代があった。

 

それから時が過ぎ、マレーシアが独立後は、国語はマレー語政策を推し進めていく過程で、英語が話せなくなるといった弊害がおきているようだ。 

 

とはいえ、人種や家庭の教育方針によって受ける教育は様々で、言語も様々。一概にいえないというのが実際のところだろうか。

 

子供のときに広東語だけを話すだけではく、その広東語の会話の中に英語が混ざっていることもあって、多民族国家ならではの多言語国家といっても過言ではない。

 

中には、マレー語しか話せない人もたくさんいるし、また広東語しかわからない人もたくさんいる。

 

ここは多民族国家マレーシア。セムアボレー(すべてOK)なのだろうか。